BPWとは

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BPWインターナショナル会則及び規則(2011年改正・ヘルシンキ大会〔PDF/403KB〕)

布柴 靖枝 理事長からのメッセージ

理事長
この度、2025年5月25日の総会にて、日本BPW連合会の理事長に就任いたしました布柴 靖枝と申します。平松 昌子 元理事長、名取 はにわ前理事長という偉大な大先輩からバトンを受け取り、その責務の重さに身を引き締めています。日本BPW連合会は、1951年に設立された『東京有職婦人クラブ』にルーツをもち、ジェンダー平等社会を目指してすでに70年以上活動してきた歴史をもつ団体です。また、国際NGO団体として100年近い歴史を持つIFBPW(International Federation of Business and Professional Women)の傘下にも入って国際交流を展開しています。日本BPW連合会は、東京都の認定NPO法人として寄付金の税控除が受けられる団体として認定されています。国外では、国連の経済社会理事会(ECOSOC)の特殊協議資格のあるNGOとして、厳しい審査を経て2023年に認定を受けました。それにより、国連の会議を傍聴し、私たちの声を直接、意見書として国連に届けることが可能になりました。私たちは、ジェンダー平等社会を目指す政策提言型のNPO法人として、様々な活動を国内外で展開しています。

なかでも、20年前にスタートしたヤング育成のUN CSW(国連女性の地位委員会)インターンプログラムでは、すでに70名を超えるユースをニューヨークの国連本部に送ってきました。最近では、2年続けてBPWからCSWインターンになったユースが、外務省から日本政府代表ユースとして選ばれ、NYの国連本部のCSWユースダイアログで、ステートメントを発表するという活躍をしてくれています。
今、国際社会は、VUCA※の再来かと思われる時代の中にあり、人権問題が大幅に後退しており、私たちが取り組むべき課題は山積しています。女性が暮らしやすい社会を作ることは、性別を超えて、皆一人ひとりが尊重され、住みやすい社会を作ることにつながります。誰一人取り残されない公正な社会つくりを目指して、皆さんとご一緒に、私たちができることを一歩一歩前に進めていけることを願っています。

※註:VUCAとは、不安定で変化が速く、不確実性の高く、複雑で曖昧な社会を指します。
V: Volatility, U: Uncertainty, C: Complexity, A: Ambiguityの略
特定非営利活動法人 日本BPW連合会 第23代 理事長 布柴 靖枝

(2025/7/6掲出)



歴代理事長からのメッセージ

理事長 ジェンダー平等を目指して
2021年6月、和歌山で開催された総会で、私は、平松昌子理事長から理事長職を受け継ぎました。2度目のバトン・タッチでした。
平松前理事長達と共に、和歌山総会で採択された宣言を携えて、内閣府林伴子男女共同参画局長、文科省義本博司総合教育政策局長、厚労省山田雅彦雇用環境・均等局長にお会いし、宣言を政策に生かすようお願いしました。
日本BPW連合会は女性たちのアドボカシーを目指すNPO法人なので、会員の声を行政に届けることは大事な仕事です。
平松前理事長は、この後急速に病が重くなり、11月30日に逝去されました。

2022年6月4日、東京大会で、経済、教育、政治、防災の4分野において、会員が白熱の議論をし提言したものを基本にして、翌日5日の総会で「東京宣言」を決定しました。
この「東京宣言」を、佐藤道子会計担当(前専務理事)、中野洋恵企画委員長と共に、内閣府林伴子男女共同参画局長、文部科学省藤原章夫総合教育政策局長、厚生労働省村山誠雇用環境・均等局長に提出し、宣言の実現をお願いしてきました。
林男女共同参画局長が、様々な政策を進めてくださったことにより、各省庁の取組が前進している手ごたえを感じることができました。

閑話休題

ここで、少し私自身の話をさせてください。
私は国家公務員時代、男女共同参画行政に3回携わりました。
2度目の総理府男女共同参画室長時代の1995年、第4回世界女性会議が北京で開催され、日本政府代表としてこの会議に参加しました。1997年、ナショナル・マシーナリー強化のため男女共同参画審議会設置法の制定、さらに1999年には男女共同参画社会基本法成立に携わりました。
3度目の内閣府男女共同参画局長時代、内閣府が設置されるなどの省庁再編後初の基本計画である第2次男女共同参画基本計画の閣議決定に、2005年、携わりました。

この2つのポストを経験した間、日本は大きく変わっていました。
1995年、日本から約5千人の女性たちが、国連の女性会議と併行して開催された世界女性フォーラムに参加し、世界の女性達と交流した熱気が基本法の追い風になりました。
その後事態は急変し、男女共同参画局長時代は、バックラッシュの嵐が吹き荒れていました。
局長時代、日本の少子化は、女性の社会参画が原因だと非難されました。確かに仕事をする女性が増えるにつれて少子化が進んでいるのです。
矢島洋子さん(現三菱UFJリサーチ&コンサルティング執行役員 主席研究員)の意見を入れてOECD各国調査を行ったところ、意外な事実が浮かび上がってきました。
1970年から2000年までの間、女性の社会参画が進まず、にもかかわらず、少子化が進んでいる珍しい国が、日本だったのです。
その理由は、日本では、多くの女性達が、子供か仕事か、どちらか一つを選ばなければならなかった。子育てと仕事の両立支援策が遅れていたのです。
日本の男女共同参画は、他国と比べ、進んでいなかったのです。

公務員を退職して何年か後、平松昌子前理事長とのお付き合いが始まり、平松さんに誘われて日本BPW連合会に入会しました。
あのバックラッシュの時代に応援してくださった女性団体へ恩返ししたい気持ちもありました。
日本BPW連合会を選んだ理由として、長年若い女性たちに手を伸ばし、ヤングスピーチ・コンテストや国連CSWへのインターン派遣などを実施していたこともあります。(2つとも平松さんの提唱)
国連が提唱している世代を超えた連携を、日本BPW連合会が先取りしていたのです。

現在、日本BPW連合会は、東京都の認定を得たNPO法人として、寄付金に対する税制・所得控除が認められています。全NPO法人のうち認定を得た法人は2%ほどに過ぎません。私たちの活動は公益性が高いのです。
私たちも少子高齢化の波をもろに受けて、会員は減りつつあります。
しかし、今は、人生100年時代。 各地のクラブ、アソシエーツの活動とともに個人会員との風通しを良くし、男性会員の協力も得つつ、日本BPW連合会は進化を続けます。
ジェンダー平等は人類始まって以来、どの国もまだ実現していません。
私達も、誰も見たことのない男女共同参画社会の実現に向けて、共に進んで行きましょう。
特定非営利活動法人 日本BPW連合会 第20・22代 理事長 名取 はにわ

歴代理事長からのメッセージ

理事長 2021年新春のメッセージ「初夢!日本に女性の総理大臣が…」
昨年(2020年)は、COVID19が、世界中に蔓延し、日本のみならず多くの国で過去にない数の感染者を出し、多くの命を奪い、人々の生活に多くのダメージをもたらした。しかし、このCOVID19の拡散防止に成功した国や地域があり、そのトップで指揮を執ったのは女性だった。 ドイツのアンゲラ・メルケル首相、フィンランドのサンナ・マリン首相、ノルウェーのエルナ・ソルベルグ首相、アイスランドのカトリーン・ヤコブスドッティル首相、デンマークのメッテ・フレデリクセン首相、ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相、そして台湾の蔡英文総統。
なぜ、女性が最高指揮を執った国がウィルスの抑え込みに成功したか。 いろいろな条件の違いはあるだろうが、「国民にとって今大事なことは何か」をしっかりと認識して、かじを取ったからだとされているし、私もそう思う。
日本の菅総理も「国民の生命財産を守ること」を、総理の座についた時に公約として掲げた。 しかし、COVID-19によるパンデミックへの政策を決定するときには、国民の命を守るという何よりも優先すべき為政者としての認識が希薄であることを明確にあぶり出した。
男性の元首といえばもう一人、アメリカのトランプ大統領(当時)は、コロナ禍が広がり始めたとき、感染防止策をとるのではなく、「消毒液を注射すればいい」と発言したり、自分が感染しても「すぐ治る」という姿勢を誇示していた。その結果、アメリカでは37万人以上の死亡者(2021年1月11日時点、米ジョンズ・ホプキンス大の集計)が報告されている。

私たちBPWは、人口の半分が女性であることを理由として、或いは「SDGsの目標5のジェンダー平等の実現」を目指して、政策を決定するポストの半数に女性を配置するよう求めて活動してきた。 議会では議席の半数が女性で、企業の役員会でも半数が女性、上級公務員も半数が女性をと「50-50の実現」を求めて活動してきた。 そして、2021年、アメリカでは、トランプ政権に代わるバイデン政権で、カマラ・ハリス氏が初の女性副大統領の座に就任した。 そして日本では・・・「総理の座に女性が座っている!」という初夢を私はみて目が覚めた。その女性が誰かまでわからなかったが…。
女性が自立して生きることを支える社会に(2019年2月)
2019年1月、小4の女児が、父親の暴力で死亡するという事件があり、数日後、母親も逮捕されました。この事件について、児童相談所の対応その他問題点はいろいろと指摘されましたが、私は、なぜ母親が、娘を連れて夫の暴力から離れなかったのかという疑問を抱きました。もし、彼女が自立して生きることを支える社会であれば、そしてそのことを彼女が理解していれば、娘と共に自分で人生を切り開くことが出来たかもしれません。
でも、今の日本社会は、どうやら、男の暴力がまかり通り、社会もそれを半ば肯定する空気があることを、私は否定できません。
人口の半分は女性なのだから、女性たちの声を政治に反映させるために、「議席の半数を女性に」と願った活動は、「政治分野における男女共同参画法」の成立を実現しました。法律成立後初の選挙では、1人でも多くの女性が立候補し、議席を確保するよう呼びかけをしています。
しかし、週刊誌「AERA」の2月11日号に、女性議員に対する男性支持者からのハラスメント事件が少なくないことを伝える記事が掲載されていました。男性から女性へのハラスメント事件は、昨年の国会でも問題になりました。高級官僚による、女性記者に対するハラスメントです。日本の男女格差が、いわゆる経済先進国では際立っていることを理解されているか、総ての男性に問いかけたい。 2019年3月開催の第63回国連の女性の地位委員会の今年のテーマには、【差別を受けることなく、女性や女児が社会保障や制度の利用を可能にすること】が謳われています。つまり、女性が家族その他に縛られること無く、社会の支援を受けるためには何が必要かという議論です。
BPWも、【女性が自立して生きることの出来る社会】【自立して生きる女性を応援する社会】の実現に向けて今動き出しています。ご一緒に活動しませんか。
特定非営利活動法人 日本BPW連合会 第15・17・25代 理事長 平松 昌子さん

歴代代表

初代 1958~1959 山主 敏子 共同通信論説委員
第2代 1959~1961 久米 愛 弁護士
第3代 1961~1963 西 清子 評論家
第4代 1963~1965 金子 みつ 参議院議員
第5代 1965~1967 高力 寿美子 大阪府専門職員
第6代 1967~1971 北野 とみ アメリカ文化センター次長
第7代 1971~1975 影山 裕子 国立電報電話局長
第8代 1975~1976 高橋 展子 駐デンマーク大使
第9代 1976~1979 橋本 綾子 衣笠学園園長
第10代 1979~1980 高橋 展子 駐デンマーク大使
第11代 1980~1983 安藤 はつえ あいふぉーらむ編集長
第12代 1983~1987 高橋 久子 最高裁判事
第13代 1987~1991 佐々 基子 NHKプロデューサー
第14代 1991~1995 安藤 はつえ あいふぉーらむ編集長
第15代 1995~1999 平松 昌子 就職情報誌編集長
第16代 1999~2003 出村 和子 弘前学院大学教授
第17代 2003~2005 平松 昌子 会社役員・ジャーナリスト
第18代 2005~2009 黒崎 伸子 外科医
第19代 2009~2013 松原 敏美 弁護士
第20代 2013~2017 名取 はにわ 元内閣府男女共同参画局長
第21代 2017~2021 平松 昌子 会社役員・ジャーナリスト
第22代 2021~2024 名取 はにわ 元内閣府男女共同参画局長
第23代 2025~ 布柴 靖枝 文教大学教授・京都大学博士(教育学)
※肩書きは、代表就任時のものとは限りません。

仕切りライン
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